こぼれ話 アルゼンチン編
こぼれ話 ロケ日記 それはないぜセニョール、セニョリータ!なアルゼンチン
第1話 もう朝早くからブエノスアイレスってば〜!
11月15日、アルゼンチンロケは首都ブエノスアイレスから始まった。町に張り巡らされた地下鉄のうち、南米で最も古いA線、丸ノ内線の車両が走るB線、新形車両が続々導入されているD線の取材である。通勤客で混むから仕方ないのだが、メトロビアス社から降りた取材許可時間は5〜6時まで。滞在4日間の内3日が3時半起きとなった。早い!漁師並である。集合したスタッフの顔には、そりゃないぜ的な無言のオーラが漂っていた…。
地下鉄B線 地下鉄A線 初日は地下鉄A線の撮影。ホームへ降りていくと、はなからコーディネーターのフアンと駅員が揉めていた。撮影許可書を見せても「俺は聞いてない」の一点張り。暗にチップを要求しているようだ。何もできないまま時間が刻々と過ぎてゆく。揉めること15分、駅員が「本社に連絡する」と立ち去った瞬間、フアンが言う。「乗っちゃいましょう!」 この国ではよくあること、難癖をかいくぐり撮影するのが取材の基本だとか。許可書はあるので後ろめたいことはないのだが、コソコソと逃げ込むようにA線に乗車。五月広場駅から国会議事堂のあるコングレソ駅の区間を無事撮影した。
5時55分、五月広場駅に戻ると、例の駅員が苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。イラッ!とする心を抑え、ニコニコ笑顔外交で日本人らしく対応。しかし彼はチップをせしめ損ねたせいか、おもむろに親指を下に向け、敵意を示すのであった。朝一番のロケで、往年のコメディアン・ケーシー高峰の決まり文句が思い浮かぶ。「それはないぜセニョール、セニョリータ!」 もう朝早くからブエノスアイレスってば意地悪!と心で思うのであった。
ページの先頭へ
第2話 もう、グラン・カピタン号ってば〜!
ボロボロの車内 11月20日。アルゼンチンの目玉の1つ、グラン・カピタン(ビッグ・キャプテン号)の取材がスタート。始発駅のフェデリコ・ラクロセで、また駅関係者との苛酷な戦いが始まった。グラン・カピタンを運行するTEAにも、この駅に乗り入れするメトロビアス社にも許可を得ているのに、駅の警備担当者がホームへ入れてくれない。今日もあの決まり文句が頭をよぎる「それはないぜセニョール!」 彼はチップをせびりたい訳ではなく、単に自分に連絡がなかったことが気に入らないらしい。我々は○千ユーロも撮影許可料を払い、許可書もある、何の問題もないだろ!と詰め寄るのだが頑として譲らない。刻々と時間は過ぎ、ついに列車がホームへ入線。イライラは募る。30分以上やり合ってやっとTEAの最高責任者が登場、意地悪警備員は烈火のごとく叱られ無事撮影が始まったのであった。
小島さん 乗車して間もなく、何かが違う!と気付く。あまりにも窓ガラスのひび割れや傷がひどいのだ。海外の列車では落書きは多く目にするが、まともなガラス窓がないほど傷だらけなのは長い経験の中でも初めてだった。出発して10分後、その理由が判明する。車掌が「窓とブラインドを下ろしてください、沿線の子供の投石があります!」と車内を駆け巡ったのだ!乗客は慣れたもので、大急ぎで窓と頑丈そうなブラインドを下げている。そうして本当に小石やパチンコが投げ込まれ始め、危険地帯を列車は通過してゆくのだった。「ここは戦場か?」と突っ込みたくなる。運の悪いことに、コーディネーターのフアンが額を押さえながら座席へ戻ってきた。思いっきり小石がヒットしたようだ。大丈夫?と聞くと「問題ないさ!」と親指を立てて苦笑いをしている。またまた「それはないよなセニョール!」である。もう、グラン・カピタンってば意地悪!
ページの先頭へ
第3話 テレビの神様ありがとう!
ラモンさんの子供達 毎回番組では沿線を入念に調査し、テーマにそった取材を心がけている。しかしどんなに事前調査をしても、運に任せるしかないのが乗客との出会いである。毎回その国ならではの出会いを求め撮影に挑むが、乗客がまるで乗っていなかったり取材拒否にあったり、必ずしもうまくいかないこともある。今回は世界遺産サン・イグナシオ・ミニ遺跡を取材するにあたり、この国に息づく信仰をグラン・カピタンの乗客から感じ取りたいと考えていた。そこで出会ったのが、マルケスさんとラモンさんご家族であった。マルケスさんは沿線コリエンテの住人で、座席に60cm以上あろうかというマリア像を置いていた。列車や車での移動時は、お守りとして必ずこのマリア像を携えるのだという。日本でいうと、大きめの観音像を小脇に抱え出勤している感じであろうか? ブエノスアイレスから乗車したラモンさんたちは、3家族17人の大グループ。兄のホセさんがポサーダスで晴れて神父になり、その儀式に参列するのだという。儀式の取材を申し込むと快くOKしてくれた。
神父になる人の式典 ポサーダスに到着した翌日の夜7時、ずうずうしくも約束の会場へと向かった。20〜30人程度の慎ましい式をイメージしていたのだが、なんと500人以上は集まっている盛大な儀式であった。親族だけでなく地元の多くの人々が参列しているのだ。彼らにとって信仰にすべてを捧げる神父は、町一番の相談相手であり心の拠り所なのだそう。兄の誇らしい姿を見て、弟のラモンさんや家族みんなが涙を浮かべて喜んでいる。その様子に嘘偽りない信仰を心から感じてしまい、思わずウルウルしてしまうナイーブなダメディレクターがそこにいた。信仰心のかけらもない不届き者ディレクターに、こんな偶然の出会いをくれて「テレビの神様ありがとう」と心で叫ぶ、ポサーダス取材であった。
今回のアルゼンチン撮影、文章では書けない「それは無いぜセニュール!セニョリータ」な出来事が毎日のように続いた。しかしながら、この国の魅力は実に多彩である。ブエノスアイレスではタンゴのリズムに魅了され、大草原の牧場ではガウチョたちの手厚いもてなしを受け、世界遺産イグアスの滝はその絶景でスタッフ皆を絶叫させた。そして車内では、名物のマテ茶を飲んでみて!と差し出されたり、手作りの牛カツレツをどうぞ!といただいたり、優しい人々との出会いも多かった。いろいろな意味で思い出深い国である。
3月10日(現地3月9日)、我々の取材したマル・デル・プラタ行きの列車が不慮の事故に遭ってしまった。ふと取材で出会った人々の顔が思い浮かぶ。事故で亡くなった方々の冥福をお祈りするとともに、負傷された方々の一日も早い回復を心から願うばかりである。
ページの先頭へ