MAKING:MOVIE ON THE ROAD

  • 最初はブラジルだけのストーリーだった?

     「コヨーテ、海へ」プロジェクトが始まったのは、2008年秋。
     前年の夏にリリースされた佐野元春さんのアルバム「COYOTE」に感動した堤監督がブログに感想を書き込んでいたのが、全ての始まり。

     それから1年以上が経過し、「デビュー30周年に当たる2010年に、コラボレーション作品を作りませんか」という元春さんスタッフからのオファーに、監督は感激。打ち合わせに、何も持っていかないのは問題だと、監督がしたためた物語は、地球の反対側に謎の旅をする男の物語だった。つまり、ブラジルのみのストーリー。

     しかし、元春さんから「若い世代にもメッセージを送りたい」という提案があり、その場で、ニューヨークを旅する「息子」の物語が、二人の化学反応で生まれたのである。そして、2009年3月、堤監督は、なんと自腹を切ってニューヨークとブラジルへシナリオハンティングの旅に出て行った。この行動力には、佐野元春さんも驚かれたとか。帰国後、監督は「シナハンDVD」も作成。元春さんと、シナリオについてミーティングを開始し始め、脚本は半年をかけ第5稿まで重ねられた。

    最初はブラジルだけのストーリーだった?

  • 歴史的少人数ロケ敢行!

     通常、堤監督が手がける作品の海外ロケとなると、数十人が海を渡る。しかし監督は、佐野元春さんの魂と相対峙するこの企画に関して、とことん「ピュア」を目指した。映像を撮りたいと最初に思った頃のエナジーに戻りたい。映画監督ではなく、映像青年でありたい。できるだけ海を渡る人間を少なくして、全員が汗をかきたい。

     結果、キャストを除いて、成田空港から飛び立ったスタッフは、たったの7名。有言実行の監督は、自ら撮影車両の洗車も担当。ロードムービーの醍醐味であるクルマでの移動シーンは、車両に乗れる人数が限られるため、監督は、右手でカチンコを打ち、左手でメイキングカメラを回すという、信じられないようなアクロバチック・アクションを披露。

    歴史的少人数ロケ敢行!

  • 一眼レフ・カメラのムービー機能で全てのシーンを撮影

     「コヨーテ、海へ」をご覧になった全ての人が驚く。
     「えっ、信じられません。全部、EOSで撮影したんですか?」。

     原点に返る。初心に返る。そのポイントから監督がチョイスしたのは、キヤノンのEOSでの撮影だった。日進月歩の技術の進化。映像を初めて撮ろうと今の大学生が思えば、絶対にEOSを選択するだろうと。

     そこからは、唐沢カメラマンが、半年がかりで様々なテストと改良を繰り返すことになった。ピントを合わせるためのファインダーの研究、ケーブルを分配しての複数モニターの研究、カメラを持つ際のグリップの研究。試行錯誤の上、「EOS唐沢モデル」ができあがったのは、撮影開始、わずか10日前の出来事。

     EOSのレンズはひたすら明るく、照明スタッフが参加したのは、教会でのポエトリー・リーディングのシーンのみ。後は、なんと、全てノーライト。

     ラストシーンの、摩天楼をバックにしたハルとデイジーのシーンも、人物に懐中電灯を当てただけで撮影をしている。また、ニューヨークの街並みで撮影している際も、通行人からは「記念撮影をしているんだな」としか見えなかったのか、誰も撮影に気づかなかったという、意外な効果も生まれた。
     機動性溢れるEOS撮影システムだったが、カメラが軽量がゆえの弱点が一つだけ存在した。それは、望遠レンズを装着したとき、少しでも風を感じるとカメラが揺れるのである。よって、望遠レンズ撮影の際は、まるで皇帝ペンギンたちのように唐沢カメラマンを数人のスタッフが取り囲んで撮影を行った。

    一眼レフ・カメラのムービー機能で全てのシーンを撮影一眼レフ・カメラのムービー機能で全てのシーンを撮影

  • ニューヨーク10年ぶりの大雪。これはピンチか、チャンスか

     撮影に当たり、スタッフが頭を抱えたのが、10年ぶりの大雪。

     特に、教会でポエトリー・リーディングのシーンを撮影する日は、ドラマチックだった。たった1日で50センチの積雪。市長命令で学校は休校。陸上交通は運休。
    撮影は朝7時から開始。……お願いしていた著名な詩人の方々、エキストラの皆さんが、果たして教会にたどり着けるのか。もしかすると、予定していた人数の半分も集まらないかもしれない……。日本で同じことが起きれば、集まってくるのは1/3程度の人数になってしまうだろう。

     しかし、スタッフの危惧は、大きくはずれることになる。手配していた全員が集結。話を聞くと、「この物語に共感している。それに、聖地セントマークス教会でのポエトリー・リーディング。這ってでも、たどり着こうと思っていたよ」。

     スタッフは感動すると共に、「コヨーテ、海へ」のストーリーがニューヨーカーにとって、日本人が思っている以上に「特別な」意味を持っているのだと実感した。
    また物語前半のハイライトであるハルとデイジーのポエトリーリーディングのシーン、エキストラたちは演技指導の枠を超えて、二人に大拍手を送っていた。

     そして、大雪は、ウッドストック音楽祭跡地のシーンにも大きな影響を与えた。脚本では「草原で踊る二人」。しかし、現実は「雪原で踊る二人」となり、ファンタジックな、正に奇跡的なシーンの撮影となった。林遣都、長渕文音は激しく体力を消耗した撮影だったが、雪が降っていなければ、どんなシーンの撮影となっただろうか。

    ニューヨーク10年ぶりの大雪。これはピンチか、チャンスかニューヨーク10年ぶりの大雪。これはピンチか、チャンスか

  • NY撮影チームは、まるで家族?

     クランクインは2月24日。セントマークス教会でのハルとデイジーの出会いのシーンから撮影がスタートした。長渕文音は「最初がダンスのシーンになりましたね」と緊張気味。しかし見事なダンスを披露。全員から大きな拍手を受けた。物語どおり「ニューヨークは初めて」の林遣都とのコンビネーションも抜群で、二人はすぐさま、まるで姉弟のような関係に。また、歴史的少人数撮影、ナイトロケが最終日のみというスケジュールだったため、キャスト&スタッフは、夜な夜な全員でニューヨークを探訪。オフブロードウェイの前衛アートショーを見に行ってずぶ濡れになったり、NBAを観戦したり、今夜は北京ダック、明日はイタリアン、あさってはステーキだ……と毎晩毎晩、舌鼓を打った。毎日、気温が零下の厳しい撮影が続いたが、夜の栄養補給でなんとか乗り切れたのかもしれない。林遣都は「もう、ニューヨーク、大好きです!」と、オフの日にはタイムズスクエアでニューヨーク・グッズをトランクいっぱい買い込むことに。

    NY撮影チームは、まるで家族?NY撮影チームは、まるで家族?

  • 佐野史郎さんの出演は1年前から決まっていた?

     監督がシナリオハンティングを行ったのが2009年3月。撮影のちょうど1年前だ。真冬のニューヨークと真夏のブラジルの対比が、この作品のキーポイントとなるという監督の直感から、この季節が選ばれた。この旅の直後、監督から「1年先の佐野史郎さんのスケジュールを押さえてほしい」と驚くべきオファーが。聞くに、ブラジルでのガイドさんが「佐野史郎さん、そっくり」なんだとか。「二人揃っての旅はものすごく面白い画になる」と監督。佐野史郎さんも、笑って快諾してくださり、「コヨーテ、海へ」のブラジル・パートの基礎が出来上がった。

     カルロス役のマルコス飯塚さんはブラジル生まれの日系三世。漢字が読めず、台本はひらがなで書かれていた。もちろん役者ではなく、本職は日系新聞のカメラマン。サンパウロやリオデジャネイロならまだしも、ウルグアイ国境に近いポルトアレグレまで観光にやってくる日本人はほとんどいない。つまり日本人をガイドする仕事がないのだ。「だったら、アルバイトでガイドしましょう」とマルコスさんは役を買って出たのだが、まさか後にドラマの主役級を演じることになろうとは夢にも思っていなかった。

     ガイドの「カルロス」は、基本的に台本どおりに喋っているのだが、車中の移動シーンのみ、所々、監督から「適当に何か喋ってください」という指示が。その時に、マルコスさんの先祖が島根出身だとわかり、同じく島根出身の佐野史郎さんはビックリ。顔が似ているだけではなく、もしかすると血がつながっているのか……。車中のシーンは、佐野史郎さんのリアリティある反応が面白い。

    佐野史郎さんの出演は1年前から決まっていた?佐野史郎さんの出演は1年前から決まっていた?

  • ブラジル人は演技好き?

     撮影前、監督は佐野史郎さんに「基本的にブラジルでは本職の役者さんは一人も登場しないので、台本どおりにはなりませんから」と乱暴な予告。徹底的にロード・ムービーの破天荒さを追求しようと計画。しかし、さすがはラテンの血というか、出てくるブラジル人全員が、ほぼ台本どおりに喋り、なおかつ監督の演技指導に嬉々として従うという愉快さ。そして、みんな演技がうまい! 特に牧場主の男性は役者としか思えないくらいの自然な演技。また劇用車のドライバーも、ノリノリで演技しているので、画面の隅にもご注目を!

    ブラジル人は演技好き?ブラジル人は演技好き?

  • 撮影船、あわや沈没の危機!

     ブラジル・パートのハイライトである突堤のシーンも、偶然に恵まれた。海がしけ、危険度が高いため、通常は行われている工事が中止されたのである。誰もいない虚無感は、前日や翌日では生まれなかった。しかし、撮影に許可を出しロケに付き合っていた工事担当者は、「早く止めないと、命の危険がある!」と警告に次ぐ警告。そこを「あと10分」「もう、あと10分」と監督が粘った末の撮影だった。荒波をかぶり続ける佐野史郎さん。これもスタッフが演出しているのではなく、正に自然のど迫力。

     突堤での怒号が飛び交う撮影を追え、全員が撮影用に借りている漁船へと乗り込み、外洋から堤防に砕け散る波を撮影することになったのだが、ここからが、とんでもない事態に。堤防内は凪いでいたのに、外洋に出た途端、船は上下左右に大きく揺さぶられ、45度ほどに傾き、デッキには海の水が入り込んでくる。波の高さ5メートルというのが、これほど物凄いとは。屋上では唐沢カメラマンが命綱をつけて撮影する中、船内は悲鳴と絶叫の嵐に。日本人女性スタッフは失神、ブラジル人女性スタッフは泣き叫び、「沈んでしまう! こんな撮影があるなんて聞いていなかった!」と阿鼻叫喚。

     あわや沈没の危機から逃れて、全員の無事を確認しホッとしたところ、程なくしてカルロスが言った。「メガネが海に落ちてしまいました」。「エッ、劇用のメガネが?」。上陸後、スタッフは慌てて同じような形をしたメガネを探しまくることに。

    撮影船、あわや沈没の危機!撮影船、あわや沈没の危機!

  • サンジョゼ・ド・ノルテの狂騒

     ブラジル・パートの最後に出てくる、サンジョゼ・ド・ノルテという漁村は人口数千人ほどの規模。映画やドラマの撮影が行われることなど、ほとんどない。なのに、なぜだか日本人が撮影にやってきたと大騒ぎ。またライブハウスでのシーンには、ブラジル南部の人気ミュージシャン・ネトさんが歌うということもあり、夜になると、老若男女、村の人々が大集結。撮影なんだかお祭りなんだかライブなんだかわからないほどの興奮のるつぼと化した。佐野史郎さんはともかく、村の人々は「カルロスもスターに違いない」と勘違いし、記念撮影ラッシユ。監督も握手攻め。

     撮影隊は深夜、フェリーでサンジョゼ・ド・ノルテからリオグランデまで戻ったのだが、港まで追っかけ隊が来るほど、熱狂は続いた。きっと、この村にとっては、長く語り継がれるイベントになったに違いない。このライブハウスのシーンで、ブラジル・パートはクランクアップした。

    サンジョゼ・ド・ノルテの狂騒サンジョゼ・ド・ノルテの狂騒

  • 絶景・鬼岳のロケ

     海外ロケから帰国して、しばらくして福江・鬼岳ロケを敢行。日帰り・弾丸ツアーで、このロケも、佐野史郎さんを含めて7名で行っている。グーグル・アースで見ると、まるでクレーターのようにぽっかりと丸い噴火口があり、見事なコニーデ型の鬼岳。福江空港からも近く、さぞかし観光名所であり、スタッフは「広い画を撮るときに人止めが大変だな」と想像していたのだが、全く誰もいない。天候にも恵まれ、ニューヨーク、ブラジルのシーンに負けない絶景を、あっという間に撮影することが出来た。撮影隊は、時間を持てあまし、福江の寿司店へと直行。

    絶景・鬼岳のロケ

  • 3月29日、東京都内でオール・アップ。そして、カメオ出演も、お楽しみに!

     ニューヨーク、ブラジル、福江と旅を繰り返してきた撮影隊も、ようやく最終日の東京にたどり着いた。豊島区の某病院セットでの撮影は、海外とは違って本格的な撮影に。撮影部、照明部、録音部、制作部……などなど、数十人体制へと。監督曰く「なんか、ようやく、ドラマを撮影している気がしてきた」。

     佐野史郎さんと遠藤憲一さんの息の詰まる芝居の応酬が素晴らしい。そのシーンの前段に、元春さんが登場。スタッフ・キャスト共に大拍手。

     実は、カメオ出演は、もう一組。ニューヨークで、デイジーが「子分」からボロ車を強奪するシーンで登場しているのは、TBSドラマ「SPEC」主題歌を担当して注目されているNY在住ロックバンド「The Rice Cookers」のメンバー。監督との友情での出演である。演技は、監督のアドリブだが、見事に4人は演じている。これまた、お見逃しなく。

     オールアップは、3月29日夜、世田谷区にある一軒家ロケセット「北村家」での撮影。ロード・ムービーならではなのだが、親子であるハルと北村は、この日が初対面となった。
     ハルが探す押し入れの中から見つかるものの中には、佐野元春さんからお借りした宝物グッズも含まれているので、ご注目を!

    3月29日、東京都内でオール・アップ。そして、カメオ出演も、お楽しみに!

文:神康幸

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