総延長6万3000キロ、鉄道大国インドの北部を横断!
鉄道大国・北インド大紀行
5000年の歴史を誇り、近年はIT大国として注目を集めるインド。この発展を支えているのが、国内全土に張り巡らされた鉄道網です。今回は首都ニューデリーから北インドを一路東へ、ムガール帝国の古都、大河ガンジスが育んだヒンドゥー教・仏教の聖地を巡りコルカタへ。さらに北上し、世界遺産の「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」を走破します。
総延長6万3000キロ、鉄道大国インドの北部を横断! 鉄道大国・北インド大紀行5000年の歴史を誇り、近年はIT大国として注目を集めるインド。この発展を支えているのが、国内全土に張り巡らされた鉄道網です。今回は首都ニューデリーから北インドを一路東へ、ムガール帝国の古都、大河ガンジスが育んだヒンドゥー教・仏教の聖地を巡りコルカタへ。さらに北上し、世界遺産の「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」を走破します。 ブッダの足跡を巡る バナーラス〜ムガル・サラーイ〜ガヤー(ブッダガヤー)〜パトナ〜ラージギール〜コルカタバナーラス Banaras 悠久のガンジスが流れる巡礼地サールナートお釈迦さま(ブッダ)はブッダガヤーで悟りを開いた後にこの地をを訪れ、悟った真理を初めて人に話しました。この説法を森の鹿たちも聞いていたため、サールナート遺跡は鹿野苑(ろくやおん)と呼ばれ、仏教では鹿が大切にされるようになりました。苑内には6世紀に造られたダメク・ストゥーパ(仏塔)や、日本人画家・野生司香雪の壁画が収められたムールガンダ・クティー寺院があります。 サールナート遺跡 ムガル・サラーイ Mughal Sarai 主要長距離列車の停車駅ムガル・サラーイ駅バナーラスには駅が4つあり、長距離列車の多くは市内から離れたムガル・サラーイに発着します。大きな駅ですが、ホームには野良牛や野良犬の姿も。動物だけでなく、駅はインドが人間のるつぼであることを実感させます。旅行者、地元民、お金持ち、物乞い、物売り…宗教や人種もさまざま、そして一緒くたです。列車が遅れても気にする人はいません。露店で小腹を満たしながらおおらかに待っています。 ムガル・サラーイ駅 長距離列車 長距離列車 ガヤー(ブッダガヤー) Gaya / Buddha Gaya ブッダが悟りを開いた聖地ブッダガヤーガヤー駅は、ブッダが瞑想の末に悟りを開いたブッダガヤーの玄関口。その聖地にはマハーボディー寺院が建ち、ブッダが座し続けた場所には金剛座が置かれ、大きな菩提樹が枝を広げています。ひと口に仏教といっても、世界中の巡礼者が、それぞれの服装、それぞれの作法で祈りを捧げている姿は印象的。周辺には各国各宗派の仏教寺院が建ち並び、日本寺もあります。 マハーボディー寺院 菩提樹と金剛座 仏像 スジャータの村ブッダガヤーからナイランジャラー川を挟んだ対岸は、セーナーという村。一面に小麦畑が広がり、水牛が群れるのどかな農村です。ここは、苦行でやせ細った瀕死のブッダに、スジャータという娘が乳粥を捧げた場所。これによって心身ともに回復できたことが、悟りを得るきっかけになったといわれています。 スジャータの村 パトナ Patna 2つの仏教聖地への起点ナーランダーの仏教大学遺跡コルカタへ向かう前に、ナーランダーとラージギールという仏教聖地に寄り道を。ガンジス河畔のパトナからローカル線で田園地帯を約100km。ナーランダーには紀元前3世紀から仏教大学があり、最盛期には2000人の学者や僧侶、1万人の学僧が学んでいました。7世紀にはあの三蔵法師も滞在したとか。広大な敷地には、11の僧院、14の寺院跡が残されています。 仏教大学遺跡 ナーランダー駅 ラージギール Rajgir ブッダが最も長く滞在した修行の地霊鷲山ローカル線の終点は、山間の町ラージギール。出家したブッダが修行をし、また晩年を長く過ごした土地です。彼は霊鷲山の山頂で、弟子たちに教えを説きました。今もそこにはブッダが常在しているとされ、一枚岩で造られた説法台には供物が絶えません。山の名の由来は、鷲が多いからとも、岩が鷲に見えるからともいわれています。 霊鷲山 霊鷲山 説法台 鷲の頭に見える岩 竹林精舎跡精舎とは、出家した人が修行のために住む寺院・僧院のこと。竹林精舎はマガダ国のビンンサーラ王がブッダの教団に寄進した寺院で、仏教で最初に建てられたお寺といわれています。祇園精舎、大林精舎、誓多林精舎・那爛陀寺とともに天竺五山の1つに数えられています。 竹林精舎跡 温泉精舎(ガラム・バーニー)ラージギールはブッダゆかりの地であるとともに、インドで唯一の温泉も有名。巡礼者たちは、ガラム・パーニーと呼ばれる温泉沐浴場で身を清めます。日本風に肩まで浸かって…というわけにはいきませんが、お湯をふんだんに浴びることができるのは、日本人旅行者には嬉しい施設です。 温泉精舎(ガラム・バーニー) 沐浴する人々 コルカタ Kolkata イギリス植民地時代の首都フーグリー川パトナから再びシャターブディ・エクスプレスで8時間、ブッダの足跡を巡る旅はコルカタ・ハウラー駅に終着します。1911年にデリーへ遷都されるまで、コルカタはインド領の首都でした。ガンジスの支流フーグリー川を渡ると、市街地は大都会らしい喧噪にあふれています。とはいえ川には幾つもガートがあり、沐浴する人が大勢。街の大小・新旧に関わらず、信仰は人々の心に息づいています。 フーグリー川とハウラー橋
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