兵法とは
約2500年前に斉(せい)の国の孫武が記したとされる世界最古の兵法書。それまでの戦法が運や迷信任せだったのに対し、孫子の兵法は「なぜ勝つか、なぜ負けるか」を経験と研究に基づいて分析した非常に合理的なものであった。
曰く、戦況を冷静に分析せよ、必勝の形を作れ、指導者のあるべき姿など、普遍的な思想が細かく記されている。諸侯が戦に明け暮れた春秋戦国時代、呉の王に仕えた孫武は卓越した軍事の才で連勝をもたらし、呉を大国へ導いた。
また、孫子の兵法は戦術書・戦略書でありながら、「戦わずして人の兵を屈するのは、善の善なる者なり」と説くなど、決して好戦の立場ではなく、戦争を冷静に見つめた思想が根底にある。この思想・普遍性が、古今東西の名将に愛読され、多くの戦場で実践され、現代でもビジネス書や人生哲学書として読み継がれている。
有名な戦術
- 兵とは国の大事なり
- 孫子の兵法 第一 計篇より
- 戦争は国の命運を左右する重大事である。
- 主(しゅ)は怒りを以て師を興すべからず、将(しょう)は慍(いきどお)りを以(もっ)て戦いを致すべからず
- 孫子の兵法 第十二 火攻篇より
- 君主は憤怒にまかせて戦いをおこすべきでなく、将軍はいきどおりにまかせて合戦をはじめてはならない。
- 兵(へい)には拙速(せっそく)なるを聞くも、未(いま)だ巧久(こうきゅう)を見ざるなり
- 孫子の兵法 第二 作戦篇より
- 戦争には拙速はあっても、巧妙な持久戦というのはない。
- 彼(か)を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず
- 孫子の兵法 第三 謀攻篇より
- 敵を知り己を知っていれば、百戦しても危険はない。
- 君命に受けざる所あり
- 孫子の兵法 第八 九変篇より
- 君主の命令であっても情況によっては従わない。
- 上兵は謀を伐つ
- 孫子の兵法 第三 謀攻篇より
- 戦争をする上での上策は、敵の策謀を打ち破ること。
- 小敵(しょうてき)の堅(けん)は大敵(たいてき)の擒(とりこ)なり
- 孫子の兵法 第三 謀攻篇より
- 小勢なのに堅守することに固執するものは、大部隊のとりこになるばかりである。
- 戦わずして人の兵を屈するのは、善の善なる者なり
- 孫子の兵法 第三 謀攻篇より
- 戦争をせずに敵を屈服させることこそが最善である。
孫子の影響を受けた人物
歴史編
- 諸葛孔明
- 中国 三国時代の名軍師。皇帝劉備に仕え曹操軍を破った赤壁の戦いは、大ヒットした映画「レッドクリフ」に描かれている。
- 兵とは詭道(きどう)なり
- 孫子の兵法 第一 計篇より
- 戦争とは敵をだますことである
- 武田信玄
- 合戦にも治世にも戦略的な才覚を発揮した甲斐(山梨県)の戦国武将。有名な軍旗「風林火山」は孫子から引用したもの。
- 疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し
- 孫子の兵法 第七 軍争篇より
- 風のように迅速に進み、林のように静かに待機し、火のように侵奪し、山のように不動の態勢をとる。
- 東郷平八郎
- 日本海軍司令官として日露戦争の勝利に貢献。大胆な丁字戦法でロシアバルチック艦隊を破り世界に名を馳せた。
- 佚(いつ)を以(もっ)て労(ろう)を待ち、飽(ほう)を以(もっ)て飢(き)を待つ
- 孫子の兵法 第七 軍争篇より
- 安楽な状態で疲れた敵を待ち、満腹な状態で飢えた敵を待つ。
- ナポレオン・ボナパルト
- フランス初代皇帝ナポレオン1世。コルシカ島で生まれ、パリ上官学校を出て軍人となる。フランス革命とヨーロッパ諸国との戦争で数々の功績を上げ、1804年、皇帝に即位。列国を次々と破りヨーロッパの大半を征服した。歴史上最も多くの戦争を戦い、敵を分断する→1群に兵力集中→各個撃破 という必勝パターンは孫子に学んだといわれている。そうして編み出したナポレオン自身の戦術は、近代戦争・軍隊の基礎となった。
ビジネス編
- 孫正義(ソフトバンク株式会社代表取締役社長)
- ソフトバンクグループ創業者。大学在学中に自動翻訳機で事業を起こし、一代で日本を代表するIT企業に育て上げた。ソフトバンクの経営方針「孫の二乗の兵法」は、孫子の言葉と、孫正義独自の言葉を重ねた25文字の文字盤で表されている。
- 渡邉美樹(ワタミ株式会社代表取締役会長・CEO)
- 澤田秀雄(H.I.S.グループ代表)
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