1953年に被爆の惨状を訴えるため製作された映画『ひろしま』が半世紀余りの時を経て2015年8月広島で公開された。製作と公開に携わった映画人たちの想いを伝える。
映画プロデューサーの小林一平は、映画監督だった父親を介護する中で、不遇の運命をたどった1本の映画を知る。被爆から8年後の1953年に広島で撮影された映画『ひろしま』。CGなど無い時代に原爆投下直後の広島を実写で再現していた。月丘夢路、岡田英次といったスターが出演するとともに、被爆者を含む延べ約9万人にも及ぶエキストラが参加。第5回ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞しながらも、日本では全国公開には至らず、幻の映画となってしまったのはなぜなのか?その理由を探り、当時製作に携わった人々の想いに触れる中で、小林は被爆から70年、2015年の夏、本作を広島で上映しようと奔走していた。しかし彼は志半ば、2015年2月に急逝してしまう。彼の遺志を継いで動き始めたのは、『ひろしま』の歴史をたどる中で出会った当時映画に関わった人々と、一平の長男だった。『ひろしま』により受け継がれていく歴史と、映画人たちの熱い想いを伝える。