太平洋戦争中に満州で製作され、戦後喪失したと思われていた映画『私の鶯』。戦争を生き抜いた映画編集者の証言から、大戦下の映画人たちの情熱に迫る。
1984年、大阪で一本の古いフィルムが発見された。1943年に満州映画撮影所で製作され、太平洋戦争下の作品としてクオリティ、規模ともに“奇跡”と言われた伝説の映画『私の鶯(うぐいす)』だった。主演は満州映画を牽引したスター、李香蘭。作品は日本、満州の共同製作で“ミュージカル映画”だ。戦況が激しさを増す中、現在の貨幣価値として約8億円とも言われる製作費を投じる作品が作られた背景には、平和と芸術を心から望む映画人たちの情熱があった。
番組は、当時の満州映画協会で編集者として仕事をしていた岸富美子さん(94歳)の証言を取材。戦後語られることの少ない撮影所での製作風景や、日本から渡った映画人たちの想いを掘り下げる。
戦後69年。映画を通して終戦を紡ぐドキュメンタリーである。