故・大島渚の代表作で、今なお高い人気を誇る『戦場のメリークリスマス』。国際共同製作として作られた本作の、公開までの5年間の紆余曲折を貴重な証言や資料でたどる。
1983年5月、『戦場のメリークリスマス』は公開され、大島渚監督作としては最大級のヒットを記録した。だがその裏には、いくつもの困難があった。国際的評価も高かった大島が初めて手掛ける大作映画ながら、その難解なテーマゆえに資金調達は難航。製作スケジュールが遅れた結果、キャスティングも二転三転。ロケ地が決まったのはクランクインのわずか3カ月前だった。完成後も関係者向け試写の反応は惨憺たるもので、本命と言われたカンヌ国際映画祭ではグランプリ受賞を逃した。果たして『戦場のメリークリスマス』はなぜ成功したのか?そして大島が蒔いた種は何を残したのか?公開から30年、出演した坂本龍一、プロデューサーの原正人、大島渚の妻・小山明子に加え、作品の関係者たちが、『戦場のメリークリスマス』公開までの秘話やその影響について語る。また製作前に作られた企画書をはじめ、ロケ時のスチール写真など貴重な資料も明かされる。
ドキュメンタリー
ノンフィクションW 「戦場のメリークリスマス」30年目の真実
〜異色の大島渚映画が蒔いた種〜
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故・大島渚の代表作で、今なお高い人気を誇る『戦場のメリークリスマス』。国際共同製作として作られた本作の、公開までの5年間の紆余曲折を貴重な証言や資料でたどる。
2013年1月に惜しまれつつもこの世を去った巨匠・大島渚。彼の代表作である『戦場のメリークリスマス』(’83)は、公開から30年たった今もなお、語られることの多い作品だ。デヴィッド・ボウイ、ビートたけし、坂本龍一をはじめとする異色のキャスティングや、当時は珍しかった国際共同製作といった、途方もない挑戦が成功した裏には、大島の不屈の情熱と、それに魅せられた人々の想いがあった。関係者へのインタビューや貴重な資料とともに、名作誕生の裏側と後世に残したものに迫る。