赤狩りの時代、“ハリウッド10”と呼ばれる映画人たちが共産主義排斥のため投獄された。名匠エリア・カザンと脚本家ドルトン・トランボの映画人生の光と影を描く。
1947年、反米活動委員会(HUAC)は、共産主義に加担していると思われる映画人のリストを作り、喚問を行なう。最初に呼ばれた彼ら“ハリウッド10”は、見せしめとして仲間の密告を強要されることに。赤狩りと戦った映画人もいたが、大手スタジオは彼らをクビにし、ハリウッドでは雇用しないという声明を出す。“赤の恐怖”により、1954年までに約1万人が職を失い、約250人が国外脱出、約150人が投獄された。名作『ローマの休日』(’53)を手掛けた脚本家のドルトン・トランボは、11カ月の入獄の後、メキシコに亡命。偽名で脚本を書き続けることになるが、その裏には、映画会社の思惑があった。一方、トランボが唯一“裏切り者”と呼んだのが、名匠エリア・カザン。彼に密告された者たちは苦労を強いられ、中には自殺者まで出た。だがカザンは、その後に犯した罪を償うような名作を生み出す。そこには彼の心の叫びが隠されていた。