エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald)は、1917年4月25日、アメリカのヴァージニア州ニューポート・ニューズで生まれました。幼少期に両親は離婚。母とニューヨーク州ヨンカーズに移り住みますが、彼女の15歳の年に母と死別。孤児になったエラには補導や少年院送りを繰り返す劣悪な環境が待っていました。しかし、そんな少女時代を乗り越え、1934年、17歳のときにアポロ・シアターのアマチュア・ナイトに挑戦。そこで見事優勝を果たし、彼女の天性の歌のセンスがその後人生を支えることになります。その後はNYの人気バンドの専属歌手として活躍。
1946年、輝かしい未来を決定付ける事となる名プロデューサー、ノーマン・グランツと出会い、レコーディング・アーティストとして更に飛躍します。1956年から64年にかけて発表したアルバム、コール・ポーターやロジャーズ&ハートなどの名作曲家たちのソング・ブック・シリーズが大当たり。
ジャズ作品にしてポピュラー・ソングを扱い、彼女の粋なセンスで歌われる耳慣れたヒット曲は一般大衆の興味を誘い、その名を広め人気を不動のものとしました。1990年までに200枚を超えるアルバムを録音。
晩年は糖尿病に苦しめられ、1996年6月15日、ビバリーヒルズの自宅で79年の生涯を終えました。