小林克也コメント

「映像にしていく作業をやり始めたら中毒になるのが分かりました。」

そもそも30年前に「スネークマンショー」を始めることになったきっかけは、FM局で僕と伊武ちゃんが知り合ったこと。それから30年後、またFM局で時々会っていたんです。そのうち、伊武ちゃんが「漫才みたいなのをやろうよ」って言うから、「そりゃおもしろいね」って言っていたんです。また会っているうちに、「やるとしたらどういうことやるのかなぁ」って、具体的にも少しずつ話したりするようになりました。

昔は、月曜から金曜まで放送している15分のラジオ番組でした。その頃は、ほぼ毎日顔を合わせて、なんだかんだ言い合いながらやっていて、正直、おもしろいものがあったり、おもしろくなかったものがあったりしましたね。そういう出来上がり方をしてたんで、全てが簡単に出来上がるものではないんです。だんだんとやるって気持ちが強くなって。1年半以上前のことですよ、具体的にWOWOWでやるのが面白いんじゃないっ、てことになっていろいろと決まってきたのは。それから映像にするためのスタッフを集めて、試行錯誤して、一旦解散して、またやり始めてという感じで。4月の放送までは、相当時間がかかりましたね。

当初は、ラジオにするとか選択肢はいろいろあったんですよ。まずは音を録ろうよとか、ビデオを流しっぱなしにして2人だけで何か撮ってみようとか。僕にとっては映像も音も同じようなものなんです。ただ映像のほうがはっきり形がでるし、いろんなことをはっきり決めとかなきゃいけないんで面倒くさいんだけどね。一応、音になるにしても映像になるにしても頭の中にイメージが出来上がるんで。

R-60っていうのは僕からのアイデアではなくて。ただ自分たちでやるとそうなるんだろうって感じで。
映像にしていく作業をやり始めたら中毒になるのが分かりましたね。自分の中で描いたものが本当に映像になっちゃうんだから。なんか、恥ずかしいっていうか、独特の感覚です。監督をするのはめちゃめちゃ楽しいですよ。現場って照明を決めたり、なんだかんだ面倒くさいわけなんだけど、役者はそれをじっと待っている訳なんですよ。その間に、セリフを確認したり、与太話をしたりしてて。監督をやると、それが待つ時間じゃないってことが分かるんです。それがすごく楽しい瞬間なんです。ぜんぜん違うんですよ。あっ、こういうものなんだってことを僕は初体験しました。今までCDを出してPVみたいなものは自分で作ったことはあるんですけど、それとはぜんぜん違いました。たとえば伊武ちゃんとかを動かす訳ですよ。自分が決めたものとかそういうものをやってもらう訳ですから、ぜんぜん違いますよ、それは。

克子のキャラクターは最初は冗談だと思ってたんですよ。これやってもらうからって伊武ちゃんが言うもんだから、えーっと思って。あんまり考えずにまぁなんとかなるって感じでした。どんな声を出したらいいかとか、ちょっとは考えましたけどね。男が女になるっていうことをあんまり意識しないで、なるべく自然に、無理しないでいこうみたいな。結果的にはいい感じで撮ってもらえましたよね。