フランスの保護領となった1912年に、首都に制定されたラバト。緑あふれる公園が広がり、洗練された町並みが「庭園都市」と呼ばれる所以です。商業や貿易の中心史として発展を遂げ、アラブ文化の王宮やモスクと、フランス風のカフェや官公庁街という2つの顔を持っています。
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ハッサンの塔 |
たくさんの列柱が並ぶ広場にそそり立つ塔。12世紀末、マンスール王は世界最大のモスクを造ろうとして志半ばで死去。このムーア様式のミナレット(塔)だけが未完のまま残されました。現状の44mでも世界最大級の高さですが、完成すれば88mもの巨大な塔になるはずでした。周りに残るたくさんの円柱は、地震で破壊されたモスクの柱です。
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ムハンマド五世霊廟 |
ハッサンの塔に向かい合っているのが、モロッコ建国の父・ムハンマド5世の霊廟です。外観は白くシンプル、一歩中に入れば伝統工芸の粋を集めた豪華さ。王が眠る部屋は、白い大理石の棺を絢爛たる彫刻の壁が囲み、ドーム天井にも装飾や金細工が施されきらびやかです。霊廟の周りは常に騎馬兵が巡回。ちなみに赤い衣装の衛兵は王宮専用のガードマン、緑の制服は軍人なのだそう。
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ルワー門 |
ラバトの城壁の中でも、12〜13世紀のままの佇まいを一番残している門で、ルワーは「風」という意味。内部にはモロッコ人芸術家の絵画や古書などが展示されています。
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ウダイヤのカスバ |
ブー・レグレグ川の河口に建つ城塞。18世紀に気性の荒いウダイヤ・アフブ族の軍隊が駐屯したことから名付けられました。隣接して17世紀ムーレイ・イスマイル王の居城を利用したウダイヤ博物館、アンダルシア庭園の傑作・ウダイヤ庭園があり、緑と小鳥のさえずりが散策の疲れを癒してくれます。
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シェラ遺跡 |
古代ローマの遺跡ですが、14世紀マリーン朝の時代には墓地として使われたため、イスラム建築のモスクやミナレットも混在して不思議な雰囲気。ローマ時代の邸宅跡や浴場、モザイク画などが残っています。きれいに整備された庭園や、川沿いにはおしゃれなカフェもあり、観光客だけでなく市民が憩う場所でもあります。
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カサ・ポート駅からほど近く、この港はアフリカ最大の貿易港です。世界の埋蔵量の75%を有するリン鉱石や農作物が輸出され、大きな客船が停泊し、大西洋の豊富な魚介類が水揚げされています。新鮮なシーフードにありつけるレストランも多数。日本人の口に合う、炭火焼きのシンプルな味付けです。
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ハッブース街 |
1923年にフランス保護領下で造られた新市街地で、元々あったメディナに対し新メディナとも呼ばれます。モロッコの古い建築様式とフランス式近代建築が調和し、旧メディナより落ち着いた雰囲気。絨毯、真鍮製品、バブーシュ(革製スリッパ)、陶器など地元民向けのスーク(市場)が並び、市民の暮らしを垣間見ることができます。
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ムハンマド五世広場 |
街の中枢機関の中心部に位置する大きな広場で、大きな噴水が目印。周りには市庁舎、裁判所、中央郵便局、フランス領事館など公的施設が集まっています。いつも市民で賑わい、モロッコ名物・派手な赤い衣装の水売りのおじさんもウロウロ。週末の夜には噴水の前で演奏会も開かれます。
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ハッサン二世モスク |
高さ200メートルのミナレットがそびえ立つ、モロッコ最大のモスク。前国王ハッサン2世の発案で、1986年から8年かけて造られました。8万人が一度に礼拝できるという巨大さは破格。モロッコ全土から3300人もの職人を集め、すべて手作りで緻密な装飾を施しました。体を清める泉、浴場、神学校、図書館、博物館、カフェなどが併設され、そのすべてが税金と寄付金で建てられたことにも驚きです。
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カサ・ヴォワヤジャー駅から、アル・ジャディーダへ。ここはカサブランカの南西に位置する小さなビーチリゾートで、16〜18世紀ポルトガル支配下の名残を色濃く残しています。海岸近くは白い建物とヤシ並木が美しい南欧風リゾートタウン。世界遺産のメディナは他の街よりひっそりとして趣きがあり、中世に迷い込んだかのよう。この街にはモスクはもちろん、キリスト教会もユダヤ教のシナゴーグ(会堂)も同居し、ヨーロッパとアラブが混在するモロッコの中でもさらに独特の雰囲気があります。
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ポルトガル旧市街 |
1514年、大航海時代のポルトガル人によって建設された、海に面した城塞都市。2004年に世界文化遺産に登録されています。厚い城壁で四方を囲まれたメディナは、モロッコと南欧をミックスしたような不思議なムード。城壁の四隅には見晴台があり、今も大砲が置かれたままです。
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ポルトガルの貯水槽 |
旧市街にある民家のように何気ない建物の小さな入口。入っていくと地下はまさに別世界です。ドーム天井と円柱が連なる神秘的な空間は、16世紀にポルトガル人が造った地下貯水池。1916年に偶然発見されるまで、その存在を忘れられていました。明かりが差し込む丸い天窓は、ここから雨水を貯めたりバケツを下ろして水を汲んでいたそうです。
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車窓にのどかな田園風景を眺めながら、赤茶色の城壁の街マラケシュへ到着。1070年頃にベルベル人が最初のイスラム国家を建設して以来、長く交易や商工業、学問の中心であり続けた街です。ここにはモロッコのあらゆる歴史、文化、自然、人間が集約され、そのカオスのエネルギーが旅人をひき付けてやみません。オートアトラス山脈方面へ足を伸ばし、ベルベル族の村や市場を散策するのも良いでしょう。
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スーク |
旧市街メディナはマラケシュ一番の見どころ。中でも小さな店がひしめくスークは現地の生活にどっぷり浸ることができます。布、肉、香辛料、装身具、革、木工、貴金属、銅、陶器、絨毯、家具…物の豊富さも規模の大きさも世界最大級。大西洋沿岸の諸都市とサハラ砂漠の交易の中継点として、昔からさまざまな人種と文化が交差してきた証です。このメディナは1985年に世界文化遺産に登録されています。
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クトゥビア |
メディナの西に建つ77mの塔。遠くからでも見えるので、迷宮のメディナを散策するときの目印にすると便利です。4面にそれぞれ異なる装飾が施され、世界で最も高く美しいミナレットのひとつといわれています。元々はモスクとして12世紀に造られましたが、現在モスク部分は残っていません。
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ジャマ・エル・フナ広場 |
ジャマ・エル・フナとは「死者たちの集会所」という意味で、かつては公開処刑場でした。今では夜ごと大道芸人が集まり、「毎日が祝祭」を体現する場となっています。夕方になると続々と始まる、蛇遣い、アクロバット、猿回し、手品、ダンス、コンサート。怪しげなゲームやトランプに興じる人々。おいしそうな屋台も無数に建ち並び、祭りのような賑わいが毎日夜中まで繰り広げられます。
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アグノウ門 |
王宮の近くにある巨大な門。マラケシュを象徴する赤茶色のアーチ、その周りはダイナミックな彫刻で飾られ、上部にはコーランの文言が刻まれています。
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エル・バディ宮殿 |
16〜17世紀頃、サアード朝の王様が25年もの歳月をかけて造った宮殿。技術の粋を集めて絢爛たる威容を誇りましたが、後にムーレイ・イスマイル王によって壊されてしまいました。広大な中庭を囲むようにして360もの居室があったといわれますが、今では巨大な廃墟が往時をしのばせるのみです。
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メナラ庭園 |
マラケシュの新市街は西洋風の店が整然と並び、まさに「現代のモロッコ」といった雰囲気。その一角にあるメナラ庭園は12世紀に造られたものです。中央に大きな貯水池とパビリオン、周りを広大なオリーブ林が囲み、アトラス山脈をバックに美しい風景を見せてくれます。かつてはスルタン(イスラムの君主)たちもここでデートをしたとか。
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