インドネシアのジャカルタでは、太平洋戦争中、日本の映画人たちがニュース映画を製作していた。当時、最南端の現場で作られたフィルムから、映画史の空白期に迫る。
1942年3月、オランダの植民地だったインドネシアを支配下に置いた日本軍。占領下の文化工作のため、ジャーナリストの大宅壮一や「フクちゃん」の漫画家・横山隆一ら、数多くの文化人が従軍した。文化工作の鍵とされたのは映画。現地では日本映画が上映され、日本の映画人たちは軍の方針に従いニュース映画やプロパガンダ映画をつくっていた。その中に、戦後ドキュメンタリー映画の編集で名を馳せた伊勢長之助がいた。長之助の息子もドキュメンタリー映画の監督だ。映画『大丈夫。』で2011年度キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位を受賞した伊勢真一。彼は父・長之助の映画を30年ごしで撮り続ける。戦争中、父はどんな思いで映画をつくったのか。父がいたジャカルタで、記憶の断片を拾い集め撮影する伊勢監督。そこに見えたのは“日本映画史の空白”と言われる戦時中に、南の島でがむしゃらに映画をつくった日本の映画人たちの姿だった。
出演
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語り新井浩文