ドラマライターが語る いりびと演技論
「台詞以上のものを語る“瞳”の演技」
制作秘話から、撮影論、演技論まで。
バラエティ豊かなライター陣が、
「いりびと-異邦人-」鑑賞に“あらたな視点”を加えるリレーコラム。
第五回目は、ドラマライター中村裕一氏からお届けします。
自身の価値観や感性を激しく揺さぶられる絵画との出会いは、しばしば人との出会いにも準えられる。
京都を舞台に、一枚の絵を発端に複雑に重なり合っていく人間模様と、それぞれに待ち受ける運命を描いた『いりびと-異邦人-』は、まさに出会いの“美しさ”と“恐ろしさ”が秘められた作品である。
<“縁”によって導かれ数奇な運命をたどる登場人物たち>
美術館の副館長で、祖父から受け継いだ類まれなる審美眼を持つ主人公・菜穂を演じているのは高畑充希。本作では初めて母親の役を演じているが、子を宿した女性の戸惑いや感情の移り変わり、微妙な表情の変化を見事に表現しており、さすが主演の風格だ。
自らが描いた一枚の絵を通じ、菜穂と運命的な出会いを果たす無名の画家・樹を演じているのはSUMIRE。ミステリアスな雰囲気を漂わす樹の佇まいをナチュラルに醸し出し、こちらも独特の存在感である。
この二人の出会いと樹をめぐる謎を軸に、ストーリーは静かに少しずつ、だがとてつもなく大きなスケールで進んでいく。
菜穂の夫で東京の老舗画廊の後継ぎである一輝を演じる風間俊介、樹の師匠で京都画壇の大家として君臨する志村照山役の松重豊の両名も、ドラマを引き締めるキーパーソンとして強烈な印象を残す。
経営が傾きかけた画廊を立て直すために奔走するも、次第に追い詰められていく一輝。弟子である樹との関係を菜穂に見抜かれ、狂気を帯びた表情で樹に迫る照山。彼らがそれぞれどのような結末を迎えるのかも、本作の見どころの一つである。
<高畑充希の“瞳”の動きと宿る光、そして必見のラストシーン>
自分の運命を変えるほどの人物や絵画との出会い、それはまさに“縁”である。
しかし、この“縁”という言葉、一見、温かく優しい響きに聞こえるが、自分一人の力では断ち切れない因縁や、消し去ることの出来ない人間の深い業も含まれる。見方によっては恐ろしい言葉だと言える。
そんな“縁”によって導かれ、数奇な運命をたどっていく菜穂。本作でも繊細かつ丁寧で安定感のある芝居を全編にわたって披露している高畑だが、特に素晴らしいのが“瞳”の演技だ。
初めは自分の体内に別の生命があること、“異邦人”として京都にいることへの違和感をあらわにしていた菜穂が、樹の絵との出会い以降、だんだんとその瞳に意志の光が宿り、ついにはある“覚悟”を決める。本作では妊婦ということで動きが少ない分、彼女の目の動きは言葉よりも多くを語っている。人の縁の不思議さと恐ろしさに揺れ、やがて自らの意志で歩き始める菜穂の瞳は、このドラマを象徴するシンボルとも言える。
そして、あえて詳しく書くことはしないが、最終回のラストシーンをぜひじっくりと時間をかけて見て欲しい。そこにいる人たちの顔ぶれを見て、きっとあることに気づくはずだ。
それは見る者にさまざまな解釈を与える、非常に意味のある風景とでも言おうか。できれば一時停止をし、しばし一枚の絵画のように鑑賞してもらいたい。見る人を静かに圧倒する本作の、もう一つのメッセージがあのシーンに込められていると思うのは決して私だけではないだろう。
登場人物の表情、目線、セリフ、語気、佇まい……。一度見ただけでは分からない、何度も見ることによって何かが見えてくる、“心”で鑑賞して欲しい滋味深いドラマ、それが『いりびと-異邦人-』である。
ドラマライター 中村裕一