視聴者リクエストNo.1! ウラジオストクからモスクワまで大陸横断の旅!
シベリア鉄道9300キロを行く
1904年に開通し、欧州への最短ルートとして多くの日本人を運んだシベリア鉄道。世界一広大な国を横断する旅路は、今も直通運転で6泊7日かかる大旅行です。日本海沿岸のウラジオストクから、世界遺産のバイカル湖、アジアと欧州を分かつウラル山脈を越え、首都モスクワへ。各地に息づく伝統や文化、激動の歴史を感じながら大走破します。
視聴者リクエストNo.1! ウラジオストクからモスクワまで大陸横断の旅! シベリア鉄道9300キロを行く1904年に開通し、欧州への最短ルートとして多くの日本人を運んだシベリア鉄道。世界一広大な国を横断する旅路は、今も直通運転で6泊7日かかる大旅行です。日本海沿岸のウラジオストクから、世界遺産のバイカル湖、アジアと欧州を分かつウラル山脈を越え、首都モスクワへ。各地に息づく伝統や文化、激動の歴史を感じながら大走破します。 変貌の極東ロシアを巡って ウラジオストク〜ハバロフスク〜ウラン・ウデウラジオストク Vladivostok 日本とも縁の深い軍港都市寝台急行オケアン号シベリア鉄道の全長は、稚内〜鹿児島間の約3倍あり、6つの時間帯をまたぎます。モスクワまで直通列車で6泊7日、料金は約7〜19万円(1等車2人用個室の場合)。今回まず乗車したのは、ウラジオストク〜ハバロフスク766kmを13時間で結ぶ寝台急行オケアン号。個室にはベッドになる座席、小さなテーブル、収納スペースが小綺麗にまとめられています。食堂車でロシア料理とウォッカを楽しむも良し、停車のたびに駅でピロシキや魚の燻製などを調達するも良し。各車両には熱湯が出るサモワール(給湯器)があり、長い旅路では何かと役に立ってくれます。 オケアン号 ウラジオストク駅 ウラジオストク中央駅・ホーム 鷲の巣展望台ウラジオストク市内と金角湾が、まさに一望できる展望台。軍艦が係留されている港、対岸のゴルドービン岬、2012年にAPEC首脳会議が行われるルースキー島などが望めます。展望台へはかわいらしいケーブルカーで。市民の足として使われており、運賃は5ルーブル(約15円)。切符売り場はなく、車掌が車内を回って徴収します。 鷲の巣展望台 ウラジオストクケーブルカー 潜水艦C-56博物館「東方を征服せよ」という意味を持つウラジオストクは、帝政ロシアの極東政策により建設された街。太平洋艦隊の本部がある軍の重要拠点として、1991年まで外国人は立ち入ることができませんでした。この博物館はソ連時代の本物の潜水艦で、内部に入って実際に操作しながら、そのメカニズムを知ることができます。 潜水艦C-56博物館 C-56内部 与謝野晶子の記念碑1876年には日本政府の貿易事務所が置かれ、明治初期には日本人街があったほど、日本と関係の深いウラジオストク。かの与謝野晶子は1912年5月5日、パリにいた夫の鉄幹を追ってシベリア鉄道に乗り込みました。この旅行は彼女に思想の変化をもたらし、一歌人を越えた、後の評論活動へつながったといわれています。旅立ちの際に詠んだ詩を刻んだ碑が、極東国立総合大学の前庭に建っています。 与謝野晶子の記念碑 ハバロフスク Khabarovsk 情緒あふれるアムール河畔の街子供鉄道11〜17歳の青少年が、夏の間だけ運営している鉄道。約2.5kmの線路に、本物のディーゼル機関車「アルリョーナク(鷲の子)号」を走らせています。切符販売、構内アナウンス、運転、車掌、管制など、スタッフはすべて子どもたち。夏休みのアトラクションのようですが、ソ連時代からあるれっきとした鉄道員養成施設。ここで働いた子どもは、極東鉄道付属大学に進学できるそうです。 子供鉄道 子供鉄道で働く子供達 ナナイ人の村市街地から車で北東へ1時間半ほど。アムール河畔のシカチ・アリャーン村には先住民族ナナイ人が住んでいます。伝統的な住居や日用品、衣装、民族舞踊を見学して、シャーマニズムに根ざした独自の生活を学ぶことができます。ちなみに、シベリアを舞台にした黒澤明監督作品「デルス・ウザーラ」で、探検隊の案内役を務めていたのもナナイ人です。 ナナイの人々 復元されたナナイ人の家 ウラン・ウデ Ulan-Ude ブリヤート共和国の首都レーニン頭部像ハバロフスクから寝台列車で2泊3日。ウラン・ウデに到着するなり、ソヴィエト広場の巨大なレーニンの頭が旅人を驚かせます。ソ連崩壊時にレーニン像が引き倒される映像をよく目にしましたが、実はモスクワ以外にはたくさん残っています。しかし頭部だけの像は、やはり異色の存在。高さ7.7m、重さ42トン。ブリヤート共和国を承認したレーニンに対する、ウラン・ウデ市民の畏敬の念が込められています。 レーニン頭部像
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