総延長6万3000キロ、鉄道大国インドの北部を横断!
鉄道大国・北インド大紀行
5000年の歴史を誇り、近年はIT大国として注目を集めるインド。この発展を支えているのが、国内全土に張り巡らされた鉄道網です。今回は首都ニューデリーから北インドを一路東へ、ムガール帝国の古都、大河ガンジスが育んだヒンドゥー教・仏教の聖地を巡りコルカタへ。さらに北上し、世界遺産の「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」を走破します。
総延長6万3000キロ、鉄道大国インドの北部を横断! 鉄道大国・北インド大紀行5000年の歴史を誇り、近年はIT大国として注目を集めるインド。この発展を支えているのが、国内全土に張り巡らされた鉄道網です。今回は首都ニューデリーから北インドを一路東へ、ムガール帝国の古都、大河ガンジスが育んだヒンドゥー教・仏教の聖地を巡りコルカタへ。さらに北上し、世界遺産の「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」を走破します。 ムガール帝国の盛衰を見つめて デリー〜アーグラー〜ファテープル・スィークリー〜ジャンスィーデリー(ニューデリー) Delhi / New Delhi インドの政治・経済・文化を担う首都シャターブディ・エクスプレスシャターブディ・エクスプレスはインド最速の都市間特急列車。ニューデリーを早朝6時出発、199km先のアーグラー・カント駅まで約2時間、ノンストップで走ります。全車両エアコン付きの指定席で、朝刊や紅茶のポットサービス、ミネラルウォーターや朝食も運賃込み。朝食は通常メニューとベジタリアン用があり、さすがIT大国、インターネット接続ができる車両もあります。 シャターブディ・エクスプレス ニューデリー駅 オールドデリー フマユーン廟ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓で、インド・イスラム建築の傑作。夫の死を悲しんだ妃のハージー・ベガムにより、1565年に造られました。王妃が自分の故郷の建築家に造らせたため、左右対称、丸いドーム、巨大アーチ、正方形の庭園など、ペルシア風の建築様式が多用されています。これは後に、アーグラーのタージ・マハルにも大きな影響を与えました。1993年、世界文化遺産登録。 フマユーン廟 レッド・フォートムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラーから現在のオールドデリーに遷都した際に建てた城。9年の歳月をかけ1648年に完成しました。赤砂岩の古城は日本語でデリー城、現地語でラール・キラー(赤い城)とも呼ばれています。宮殿らしい豪華な装飾品は、1857年のセポイの乱でイギリス軍と反乱軍にほぼ奪われましたが、王座には無数の宝石が埋め込まれていたとおぼしき跡が見られます。 レッド・フォート クトゥブ・ミナールニューデリー郊外にある、1200年頃に作られたイスラム寺院。デリー最初のイスラム教の支配者、クトゥプウッディーン・アイバクによって建てられました。インド最古・最大のミナレットは元々100mもありましたが、飛行機事故により今は73mに。近隣のヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊して造られたため、よく見ると装飾に各々の文化が混在しています。1993年、世界文化遺産登録。 クトゥブ・ミナール アライ・ダルワーザ(門) クトゥブ・ミナール 柱の装飾 国立鉄道博物館インドでは、日本よりも早い1853年に最初の鉄道が開通。総延長6万3000kmの鉄道網は、世界第5位を誇ります。その歴史を一望できる博物館では、100年以上も前の製蒸気機関車やディーゼル機関車をたくさん展示しています。ほとんどが植民地時代を反映したイギリス製で、ちょっと変わったものでは、1本レールのモノレール式機関車が動態保存されています。 鉄道博物館 モノレール式機関車 1907年[PSMT] 1870年[B-26] アーグラー Agra ムガール帝国の文化が薫る古都タージ・マハルムガール帝国の首都が置かれていたアーグラー。「世界一美しい愛の記念碑」といわれるタージ・マハルは、白亜の巨大な霊廟です。第5皇帝シャー・ジャハーンが、熱愛した妃のムムターズ・マハルを悼み、22年もの歳月と国力の限りを尽くして建造しました。しかしその浪費を見かねた息子によってアーグラー城に幽閉され、皇帝は毎日タージ・マハルを眺めながらその生涯を閉じたといわれています。 タージ・マハル アーグラー城ムガール帝国第3皇帝アクバルが築いた、威風堂々たる赤い城。当初はヤムナー川と赤砂岩の城壁に守られた要塞として使われ、徐々に増築されて宮殿に。赤は帝国の強さの象徴でしたが、内部の多くの建物は、跡を継いだ第5皇帝の好みにより、白大理石で仕上げられています。後に彼が幽閉された部屋も、本来は妻のために造った白亜の居室でした。1983年、世界文化遺産登録。 アーグラー城 アーグラー城 外壁 ファテープル・スィークリー Fatehpur Sikri 14年で役目を終えたかりそめの都ファテープル・スィークリーアーグラー郊外にある、アクバル大帝の都跡。ここに住む聖者の予言によって男児を授かった皇帝は、喜んでこの地に首都を移しました。が、水不足と猛暑に耐えかね、たった14年で都を丸ごと打ち捨ててしまいました。壮麗な宮殿や聖人廟、巨大な門などが、ほとんど使われないまま破壊もされず残されており、ヒンドゥーとイスラムが見事に融合した建築様式は文化的にも興味深いものです。1986年、世界文化遺産登録。 ファテープル・スィークリー ファテープル・スィークリー行き列車 ジャンスィー Jansi 第1次インド独立戦争の激戦地ジャンスィー城カジュラーホヘの途中にある、小さな城塞都市ジャンスィー。インドの第1次独立戦争の舞台となった場所です。1853年にジャンスィーの王が亡くなると、イギリスは「跡継ぎが絶えたら併合」という勝手な法のもとに、領土明け渡しを要求。妃のラクシュミー・バーイーはこの城を拠点に最後まで抵抗しました。彼女は非業の死を遂げますが、「インドのジャンヌダルク」と今でも讃えられています。 ジャンスィー城 ジャンスィー城と街並
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